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マイドームおおさか 敷地の変遷(詳細)

写真1写真2写真3写真4

※1



安土・桃山~江戸時代 明治・大正時代 昭和時代~
大坂城惣構
浜の御蔵→御塩噌蔵
大阪西町奉行所
初代大阪府庁
府立大阪博物場
大阪府立商品陳列所
重建懐徳堂
大阪府立貿易館
 (大阪南方院)
大阪高等貿易講習所
 (大阪府立貿易専門学校)
マイドームおおさか

安土・桃山~江戸時代

大坂城惣構

1594年(文禄3年)に豊臣秀吉が構築した大坂城と城下町を大きく取り囲む城壁で、周囲2km四方を堀や塀、櫓を築いて取り囲まれていました。
この地の発掘調査が行われた際に、惣構の一部が砦になっていたことがわかりました。
この惣構に沿う東横堀川には、大坂城の西の玄関口であり攻守ともに最重要地点とされていた本町橋がかかっています。
1614年(慶長19年)の大坂冬の陣においては、豊臣方の侍大将 塙団右衛門(塙直之)がこの橋を渡って徳川方に夜襲をかけたことでも有名です。


豊臣時代と徳川時代の大阪城外郭の比較拡大
※2 豊臣時代と徳川時代の大阪城外郭の比較
現在の本町橋
現在の本町橋
豊臣秀吉


浜の御蔵・御塩噌蔵

江戸時代に入ると、このあたりは幕府の米蔵屋敷のひとつとなり、「浜の御蔵」と呼ばれました。
大坂城に運ばれる米の一部は東横堀川を遡って、ここへ運ばれたといいます。
その後、江戸時代中期には、米蔵から塩や味噌を貯蔵する「御塩噌蔵」となりましたが、これは、後述する妙知焼けで焼失してしまいます。

西町奉行所

現大手前合同庁舎の位置に東町奉行所と並んで1619年(元和5年)に設置されていましたが、1724年(享保9年)の大火(妙知焼け)により焼失したため、前述の御塩噌蔵跡地に西町奉行所のみが移転しました。敷地面積は、9,600㎡にも及びました。
東西二人の奉行は月番制で担当していました。奉行は1千~3千石の旗本が就任し、その配下には、与力30騎、同心50人がいました。
その後、1868年(明治元年)に廃止されるまでの約140年にわたり、この地にありました。
なお、「西町奉行所跡」は大阪市顕彰史跡に指定されています。


西町奉行所跡碑
西町奉行所跡 碑
発掘調査時の様子拡大
※3 発掘調査時の様子
大坂西町奉行所図拡大
※4 大坂西町奉行所図


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明治・大正時代

初代大阪府庁

1868年(明治元年)の明治維新により、奉行所は廃止され、大阪裁判所となりました。
その後、同年5月、初代大阪府庁が置かれました。庁舎は、西町奉行所の建物がそのまま使用されました。
初代大阪府知事は醍醐忠順、二代目知事に土佐藩士の後藤象二郎が就任しました。
また、1872年(明治5年)6月5日 明治天皇が大阪府庁へ行幸。
大阪市青年連合団により行幸を記念した碑が1925年(大正14年)に建立されています。
1970年(昭和45年)2月20日 大阪府文化財保護条例により、初代大阪府庁跡として、史跡第一号に指定されました。

明治天皇聖蹟碑
明治天皇聖蹟碑
大坂城惣構・西町奉行所跡 史跡大阪府庁跡(初代)碑
大坂城惣構・西町奉行所跡
史跡 大阪府庁跡(初代) 碑


府立大阪博物場

1874年(明治7年)に大阪府庁が江之子島へ移転した跡地に、「大阪博物場」が1875年(明治8年)設立されました。
その後の1878年(明治11年)には、府立教育博物館を併合し、産業見本市、図書館、博物館、美術館、動物園、植物園、舞台、公園がミックスした総合産業文化施設となりました。
1890年(明治23年)4月24日には、英照皇太后・昭憲皇太后が大阪博物場に行啓され、大阪府によりこれを記念する碑が1940年(昭和15年)建立されました。
博物場の様々な施設のうち、図書館は1904年(明治37年)に大阪図書館(現府立中之島図書館)に移管されました。
その後、1914年(大正3年)に後述の「府立商品陳列所」がこの地に新築・再建することが、正式に決定されたことで、博物場は事実上の廃止となりました。
これに伴い、同年、動物舎の動物180点が天王寺動物園へ移転されることとなりました。象だけは大きすぎたので、深夜の松屋町筋を歩いて移動することとなりましたが、この象はサーカス出身だったために、音楽がないと動きませんでした。そのため、鳴り物入りでの移動が行われ、沿道には大勢の見物人が繰出して賑やかだったといいます。
また、1917年(大正6年)には美術館が商品陳列所に移管されるとともに、能楽堂が天満天神社に移築されました。

英照皇太后・昭憲皇太后行啓碑
英照皇太后・
昭憲皇太后行啓碑
府立大阪博物場案内図拡大
※5 府立大阪博物場案内図
イメージ:ゾウ


大阪府立商品陳列所

大阪府立商品陳列所は、1890年(明治23年)に北区堂島に創立されましたが、1909年(明治42年)の北区の大火災により、陳列所が類焼してしまいます。
商品陳列所を再建するにあたり、1917年(大正6年)3月15日に堂島から本町橋へ移転しました。
設計は、広島県物産陳列館(現原爆ドーム)の設計者であるチェコスロバキアの建築家、ヤン・レッチェルが行ったことがわかっています。
1925年(大正14年)5月、当時の皇太子裕仁親王(昭和天皇)が行啓されました。
また、昭和天皇は1929年(昭和4年)にも行幸されています。

大阪府立大阪商品陳列所外観
※6 大阪府立大阪商品陳列所 外観
勿忘十則拡大
※7 勿忘十則
広告館の壁に書かれていたもの。


重建懐徳堂

1724年(享保9年)に大坂の商人たちが学問所「懐徳堂」を中央区今橋に設立しましたが、1869年(明治2年)に閉校。
その後、1916年(大正5年)にこの地に「重建懐徳堂」を再建されましたが、1945年(昭和20年)3月14日の大空襲で焼失してしまいました。

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昭和時代~

大阪府立貿易館

1930年(昭和5年)1月1日 大阪府の産業行政機関整備・強化のため、「大阪府立商品陳列所」は名称を「大阪府立貿易館」と改められました。
その後の1943年(昭和18年)3月には、戦時体制の下、大阪府立貿易館・大阪市貿易課・大阪商工会議所貿易課が行ってきたすべての貿易関係業務を集約し、南方資源調査などに当たることとなり、「大阪南方院」と改称されます。
1945年(昭和20年)6月7日 大阪大空襲により一部罹災。
1945年(昭和20年)12月31日 大阪南方院は解散され、翌1946年(昭和21年)1月1日 大阪府立貿易館が復活しました。
大阪府の機構改革に伴い、1987年(昭和62年)11月、商品陳列所以来97年の歴史を持つ大阪府立貿易館は廃止されました。

大阪府立貿易館跡碑
大阪府立貿易館跡碑
大阪府立貿易館外観
※8 大阪府立貿易館 外観
通信見本市表紙
※9 通信見本市表紙


大阪府立貿易専門学校

1948年(昭和23年)5月1日 大阪高等貿易講習所として貿易館内に1年制の各種学校として附設されました。
1967年(昭和42年)4月1日 大阪府立貿易専門学校に改称し、2年制の専門学校となります。
1985年(昭和60年)4月1日 大阪市天王寺区夕陽丘に移転しました。
その後は、1995年(平成7年)に、大阪市住吉区帝塚山東2丁目へ移転。2004年(平成16年)に廃校となりました。

貿易専門学校発祥の地碑
貿易専門学校発祥の地 碑
貿易館


マイドームおおさか

大阪万博の前年である1969年(昭和44年)12月、大阪府商工業振興審議会は産業貿易センターの必要性を答申。
1980年(昭和55年)5月、審議会は「大阪産業ビジョン80」の中で具体的プロジェクトの1つとして再度、産業貿易センターの建設を答申。
1982年(昭和57年)大阪府、大阪商工会議所が共同で、展示場を中心に、高水準の情報提供機能や国際交流機能、中小企業振興機能が盛り込まれたプランを作成します。
その後、1984年(昭和59年)に施設の運営母体となる財団法人大阪中央地場産業振興センターが設立されました。
そして、1985年(昭和60年)大阪中小企業振興センター(マイドームおおさか)の建設が開始されます。
途中、3か月ほど、埋蔵文化財発掘調査のため、建設工事が中断されましたが、1987年(昭和62年)9月、マイドームおおさかが開館します。
なお、「マイドームおおさか」という名称は、1986年(昭和61年)一般公募により決定されたものです。
大阪コクサイホテルが1999年(平成11年)に閉鎖後、2006年(平成18年)にホテルシティプラザ大阪が開業し、マイドームおおさかとの間に連絡通路が整備されました。

開館当時のマイドームおおさか
開館当時のマイドームおおさか
オープン式典の様子
オープン式典の様子


開館後は、各種商談会、ファッションショー、異業種交流、先端技術・ベンチャービジネス関連の催しや、海外からの展示会、学術的内容のイベントや文化・芸術面の催しなど、様々なイベントが開催されてきました。
また、時代の流れや産業・文化の発展に伴い、情報関連のサービスや製品の展示会、環境問題、高齢化社会を反映した催事、各種資格試験や就職説明会など、催事の内容も変わってきています。
そして、マイドームおおさかも、日々進化しています。

現在のマイドームおおさか1現在のマイドームおおさか2現在のマイドームおおさか3現在のマイドームおおさか4


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出典

※1 大阪府教育委員会
 「大坂城惣構・西町奉行所跡発掘調査概要 1986.3」より
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※3 大阪府教育委員会 提供
※4 薮田 貫 編著 「大坂西町奉行所新見正路日記」より
※5 大阪府教育委員会
 「大坂城惣構・西町奉行所跡発掘調査概要 1986.3」より
※6 大阪府国際経済交流一〇〇周年事業 実行委員会
 「大阪府国際経済交流一〇〇年の歩み」より
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